最後の麦わら(某マンガの話ではない)
英語にこんな表現があります。
The last straw breaks the camel’s back.
最後の麦わらが、ラクダの背骨を折る
が直訳。
これ、
ギリギリのところまで重い荷物を載せられたラクダは、麦わら一本でも載せられたらそこで潰れてしまう、つまり、
我慢の限界
ということ。
最初の文だけ取って
That’s the last straw!
(もーガマンの限界!!!)
と言うのをときどーき見かけます。
英語の先生でもあるのでお役立ち情報(?)で入れてみました。
軽い(中がつまっていない)麦わら一本ですら、ダメ押しになってしまうこともあるんです。
つい先日、前途有望な俳優さんが亡くなりました。
原因はわかりません。憶測は飛び交っているけれど、誰も俳優さんその人ではないから、彼がなぜ自死を選んだのか、正確に理解することは不可能でしょう。
「死んだ方がマシ」と思ってしまうことなんて、人間やってれば一生に一度くらいは誰にでもある……のではないかと思います。私にもありましたし。
ただ、実行するのは別問題。どんな死に方を選んだとしても、自分から命を絶つのって、すごく勇気が要ります。
人間が命を絶ちたいと思うキッカケで一番大きいのは
▼健康
▼金
▼人間関係
の三つなのだそうです。
病気で苦しい、借金で首が回らない、周囲とうまくいかない、あるいはいじめられている……だから、みずから命を終える選択をしてしまう。
私が死にたい……と思ったのは、会社員時代先輩方からきつく当たられた(かなりマイルドな表現・笑)時でした。でも、その時ふと思ったんです。
「なんで、私が死んでコイツらがのうのうと生き残るんだ?
むしろ死ぬくらいのバチが当たるべきなのはコイツらじゃないのか?」
って。
正直、あの時こう思わなければ、会社の屋上から飛び降りていたかもしれません。
で、バカバカしくなって、かなり辛かったけれど、当時は選択肢なんてなかったので毎日会社に行きました。ストレスで免疫力は下がりまくり、ずっと風邪が治らなくて喘息みたいな咳が止まらなかったけれど休めませんでした。上司はクソの役にも立たなかった。でも、同僚のお兄さんや優しいお姉さんが救いの手を差し伸べてくれました。
今その人たちがどうしているかは知りません(救ってくれた人たちの顔と名前はバッチリ覚えてますよ!)。顔も名前も、もうおぼろげで、道ですれ違ってもたぶんわからないでしょうね。幸せになっていようが不幸になっていようがどうでもいいし興味もないです。因果応報で、自分がやったことはいつか自分か、自分の大事な人に返る、それだけのこと。
しょせん、その程度の関わりの人です。
そんな人たちのために、自分の貴重な人生のうち、何パーセントかを割くなんて、本当にムダ。 まして、そんな人たちのために自分の心を痛めるなんて、モッタイナイ以外のなにものでもありません。
とはいえ、だから死ぬな、と言うのは短絡的だと私は思います。
会社を休んじゃえばよかったのに、と今なら思えますが、当時はそんなこと考えもつかなかったです。それくらい追いつめられるし、精神的に余裕がないと視野が狭くなるんです。
そんな人に、いくら「ムダ」「モッタイナイ」と言ったところでどうしようもないんです。だって当事者は本当に傷ついているし、ムダだろうがモッタイナかろうが、痛いものは痛いんですよ。
そして、顔や名前は忘れても、言われた言葉やその時にどんなに心が痛かったかなんていう感覚は、ずっと鮮明なままなんです。
死ねば楽になるんじゃないか、っていう黒い誘惑は私にも常にありますよ。
だからといって実行する確率はゼロですけどね。
この世でお役に立てず、やるべきことを残して死んでしまったら、生まれ変わった時に人間になれる、しかも恵まれた環境に生まれてこられる確率はダダ下がりになります(この辺は精神論というか、宗教観だから賛否両論あると思いますが、私は輪廻転生を信じているので)。虫や動物に転生したら、善根を積むことすらできない。
そんなのはイ・ヤ・ダ!!!
話は逸れましたが、何が言いたいかというと、死って、意外と自分の身近なところにあるものですよってこと。
他人の心の中は神様以外見ることはできません。
どれだけ精神的に重い荷物を負っているか、外側からは判断できないんです。
ラクダは、最後の麦わら一本で体を支える一番大切な背骨を折ってしまいました。
けれど、ラクダが崩れた原因は麦わらだけではないんです。それまでずっと背に乗せられ続けた荷物の一つひとつが、要因の一つひとつなんです。
気づかぬうちに、気づかぬように、荷物は乗せられていく。
だから、ほんの些細なことや、「そんなバカな……」と周囲が思うようなことが「最後の麦わら」になって、あっけなく人生劇場の幕を引いてしまうことがあるのです。
一つひとつの荷物は軽いかもしれません。でも、薄い新聞紙でも(物理的に可能かどうかは置いておいて)42回折ると月に届くほどの厚みになるように、誰かの何気ない言葉や行動が、少しずつあなたにダメージを与えているかもしれません。
そして、「〇〇すべき」「こうあるべき」「なぜできないんだ」と何よりも自分自身が、あなたにダメージを与えているかもしれないのです。
マジメで自己肯定感が低い人は、特に。
自分に厳しい人は、他人にはとても優しい人です。
報道によると、亡くなった俳優さんも、自分に厳しいとてもストイックな方だったようです。
誰も彼を悪く言っていないところを見ても、他人への気遣い、優しさにあふれる方だったのでしょう。
その1パーセントでいいから、自分を甘やかすために使ってほしかったな。
この表現が適切かどうかはわからないし、お得だ、損だ、ではかれるものではないけれど、できないところ、ダメなところにフォーカスして改善するよりも、できているところ、良いところにフォーカスして伸ばしていくことの方が、はるかに効率が良いのは有名な話だし、良いところを伸ばすことでなぜかダメなところもいつの間にか改善されていたりします。
生きていれば重い荷物が乗ってくることは避けられないでしょう。
でも、荷物は、乗せられたってことは降ろすこともできるってことも忘れてはならないと思います。
自分と一番長い時間を過ごし、自分のことを一番よく見ているのは、誰でもない、自分自身です。
乗せられた荷物を降ろすには、「よしよし!それでも私は頑張ったな」と小さな改善や進歩に自分で気づいて、自分を褒めるしかありません。
自分の機嫌は、自分で取るしかないのです。
笑顔でいられた、健康に過ごせた、何でもいいから、自分を褒めればいい。
乗せて降ろして、降ろしてもまた乗ってきて……苦しいし辛いことも多いけど、1ミリずつ、正しい方向へ進んでいきたいと思います。
特に今、世の中が乱れていて、自分勝手な利己主義を主張する人が多くなってきたからこそ、ヒトとして当たり前のことを当たり前にできるように、まず自分が行動していきます。