承認欲求は厄介ナリ

そういえば、あの人元気かな~?
とある人のことが心に浮かび、その人と近しい別の人を芋づる式で思い出し、その人が
「私は褒められて伸びるタイプです」
と言い切ったことまでなぜか急に鮮明に脳裏に浮かぶという一瞬の脳の働きに身をまかせ(笑)……ブログのタイトルと相成りました。

「褒められて伸びるタイプなんで」

堂々と言い切る人、身近にいませんか?
私の周囲には結構いました。
年齢層もさまざま。上から下までくまなくです(笑)。

これ、承認欲求のひとつです。

褒めてほしい、と思うことは自然なことだと思います。
誰にでもあるし、子供だって持っています。

「ママ! 見て見て!!!」
小さな子供ができるようになったことを得意げに披露しますし、なんだったら、ネコだって狩りの戦利品(笑)を飼い主に見せに来ます(承認欲求かどうかはわかりません)。

・自分が役に立つ存在だと認めてほしい

・自分の考えを理解してほしい

・自分を大切に扱ってほしい

これが承認欲求です。

成熟した社会であることの証でもあるんですけどね。
明日も生きていられる保証がない社会や国で生活しているのであれば、間違いなくこんなこと、思いもしないでしょう。

こういう話をすると思い出すのが、マズローです。

マズローの説によると、

人間は、段階に応じて欲求が低次から高次へと移っていき、絶えず成長しようとしているそうです。

生きたい!(生理的欲求)

安全に生きたい!(安全の欲求)

集団に所属して安全に生きたい!(所属と愛の欲求)

安全に生きられる集団の中で自分のことを認められたい!(承認欲求)

安全に生きられる集団の中で認められた能力を発揮したい!(自己実現の欲求)

他の人のために自己を捨ててもいい!(自己超越の欲求)

という段階を踏んで進んでいく、と。
図にしたのがこちらです。よく見ますよね。先ほど文章で説明したのと逆の構造になっております。

ちなみに、最上級の「自己超越の欲求」は、全人類のわずか2パーセントの人だけしか持っていないそうです。

少なっ!と思いますが、数字にすると、全人口70億人の2%って、1億4千万人なんですよ。
日本の人口より多いんです。
具体的な数値にするのって大事ですね~。
これが多いか少ないかは別の議論になりますが。

話を戻します。

今回のテーマである「承認欲求」は、二種類あるんです。

簡単に言うと

自分以外の人から認められたい」の「他者承認欲求

自分で自分を認めたい」の「自己承認欲求

です。

どちらがより高度かというと、自己承認欲求の方で、その前の他者承認欲求でジリジリしている人が多い印象です。

では、他者承認欲求が強い人にはどのような言動の傾向があるのでしょうか。

ほんの一例ですが、こういったものがあります。

・自分から「褒められて伸びるタイプです」と言い切る(叱らないことを要求)

・常に自分が上のポジションに立つようにする(無意識でマウンティング)

・自分の称賛の言葉以外、他人の言葉が耳に入ってこない

・「すごいですね」と言われるための自慢話が多い、あるいは、思っていないのに「自分は全然ダメです」と言う、謙虚さを装う。

・プライドが高い

・常に上から目線、あるいは、常に極端な低姿勢

・認めてもらうためにとんでもなく頑張る

・変わったこと(言動や外見)をする、一般的な言動から外れる

・苦労話、不幸話が多い

・自他ともに「こうあるべき」の縛りがきつい

・SNS等での活動が活発(ビジネスユースは除く)

・自分がした事に対する同等またはそれ以上の「お返し」を要求する

・かまってちゃん 等々

以上の項目を、単体で、または複数組み合わせた形で、意識的に、または無意識に「度を超して」行う

こうやって列挙すると、結構いますでしょ?
自分ももしかしたらコレ、やってるかも……という項目もあるかもしれません。

では、他者承認欲求の強い人が、他者にアピールして、自分の望む結果を得られなかった時、どうなるのでしょうか?

今まで見てきた中で、パターンとしては

・アピール不足と捉えて、さらにアピールする(度を超した言動が、さらに度を超す)

・称賛のコメントが得られるまで、同じことをずーっと言い続ける(褒めてもらえるまでずっと「やっておいてあげました」と言い続ける、等)

・やっぱり自分は褒められる価値がないのかも……と落ち込む

・褒めてくれない人を敵認定し、攻撃する

・褒めてくれない人から遠ざかる、賞賛してくれる人、イエスマンで周囲を固める(これを経営者がやると最悪です)

・相手を否定することで優位性をアピールし、何が何でも承認を得ようとする

等がありました。

一度「他者承認欲求」に深く囚われ、執着すると、どんどん墓穴を掘っていき、抜け出せなくなるのがわかると思います。

では、なぜ「他者承認欲求」が強くなる人と、そうでない人がいるのでしょうか?

誰かから認められたい!と強く思う人に共通して言えることは「自己肯定感が低い」です。

自分で自分のことを「これでいい」と思えないので、他人から承認を得て自分の存在価値があることを実感したい、私は価値があるということを周囲にも見せたい、と感じるわけです。

そういう人のお話をうかがうと、親の言うことをきかないと子供時代褒めてもらえなかった、テストで良い点を取れたら親が褒めてくれた、親からきょうだいや他人と常に比較された、病気の時だけ親が優しかったなど、親から条件付きの愛情を与えられていたと強く感じていることが多いようです。

いいことをすれば褒められる、悪いことをすれば叱られる、信賞必罰はある程度までは普通のことですが、親御さんがたとえば感情にまかせてヒステリックに怒ったりすることを繰り返すと、「これをクリアしていない自分は他人には受け入れられない」という価値観が生まれやすくなるのでしょう。

度を超した他者承認欲求から抜け出したい……!

誰にでも大なり小なり存在する「他者承認欲求」、悪いわけではないのです。誰かのために頑張ることで、普段以上の力が得られることもあるでしょう。

ですが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と申しますように、ありすぎると支障をきたします。必要以上に他者承認欲求が強い場合、どうすれば自分の中で小さくできるのでしょうか?

一番は、「私は今誰かに褒めてほしいと思っているんだな」「他者承認欲求が強く出ているな」と自覚することです。

自分で気づかなければ始まりません。

そして、自分の最大の理解者は自分だ、ということを知りましょう。

知っている人は、自分は、今のままでも十分価値のある存在なのだと実感しましょう。

この世に生を受けるということは、どんな時でも、我々は何らかの「お役目」があるのだそうです。
寝たきりの老人であっても、「子供に親孝行させる」という大切な役目があるのです。
だから生かされているのです。

自分の人生の主役は自分ですが、ある限られた時点だったり、組織やグループでは、脇役に徹する必要がある場合もあります。
逆に、脇役がいないと成立しないのです。つまり、目立たなくても、存在するだけで価値があるのです。

自分は価値のある人間だ

これを自分で認めてはじめて、自己理解が進みます。

実は、自分自身を理解することは、コミュニケーションスキルを上達させる第一歩でもあるのです。

自分を理解できると、正常な関心が他者に向きます。

周囲を理解し、自分との差を理解し、その差を認めることで、「こうしなければならない」「こうであるべき」から「これもいいし、あれもいい」に変わってくるので、コミュニケーションが円滑になります。

コミュニケーションが円滑になれば、さらに自分に自信がつき、自分を大切にすることができます。そうすると、他人にも優しくできるので、誰かに褒めてくださいアピールをしたり、相手を攻撃したりする必要がなくなります。

さらに周囲に良い人が増えていき、周囲を大切にするので、周囲もあなたを大切にしてくれるのです。

ここまでくれば、誰かからの注意も善意に解することができ、素直に聞けます。

これがプラスのスパイラルです。

最初のきっかけは「自覚する」、ただそれだけ。

なのに、気付いていない人、できない人がどれほどたくさんいることか!

それだけ、認め、自覚することは難しいことなんです。

でも、認めてしまえば大きく変わります。

他人を変えることはできません。

変えられるのは「自分自身」のみ。

コロナウイルスで行動が制限されつつある中、自分の内面と向き合う機会を作ってみてはいかがでしょうか。

アフターコロナで大きく飛躍する……非常に効果的な時間の過ごし方でしょう。

追伸:自分のことは自分が一番よくわからない。そんなあなたは、ぜひサイグラム®の講座受講をおすすめします。

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